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7. 別テイク

『Cape-X』 Jan. 1996 掲載

安斎利洋

 

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図書館の新刊本コーナーから、手当たり次第本を借りてくるというランダム読書法について書いている人がいる。なるべく自分の好みに左右されないようにして、新刊の並びという乱数表に脳の攪拌をゆだねるのが快楽なのだそうだ。ぼくの場合、締め切りが重なって脳細胞が目詰まりしがちな時に、いっそのこと仕事から離れ、レンタルビデオ屋であまり迷わずに選んだ一本に2時間ばかり目を奪ってもらうことがある。こういう場合、時間をかけて選んだ映画はかえって脳に何ものかを詰め込むことになってよくない。所詮、自分で思い付いた気分転換には回転角の限界があるということだろう。

そうやって借りてきた「スリー・オブ・ハーツ」は、なかなかよかった。人生をやり直そうと思い立った売春夫、その男に騙されて恋に落ちた大学の先生、その女を取り戻そうとしているレズビアンの女、それぞれが向き合えない構図で終わるのがなかなか粋なのだ。ハッピーエンドに落とし込んだら、これはただの平凡な夢想になってしまう、と思っていたそのときだ。

クレジットタイトルのあとに「劇場公開されなかった別な結末」がくっついてきたのだ。思った通りのありがちなハッピーエンド。いい映画を見終ったあとに(淀川長治さん以外の)解説者を見てしまったような後味の悪さ。無粋な解説なら途中でチャンネルを変えてしまうが、このオマケはつい終わりまで見てしまった。見なかったらやはり後悔するだろうから。見るともっと後悔するわけだけれど。

往年のジャズの名演をリミックスしたCDに、LPにはなかった別テイクがオマケで入ってくることがある。これはたいてい嬉しい。情報を足し算すると、それだけ情報が豊かになるわけだ。しかし絵を描いていると、描き足せば描き足すほど絵が貧困になることがある。むしろそういう時のほうが多い。そういう時は、消したり削ったりすることがすなわち描くことであるという風に方向転換する。

インタラクティブソフトの制作者にも、情報の加減算の法則を誤解している人が多い。貧困な描き壊しの跡を見るにつけ、選ばれなかった多数の分岐を示されるより、しっかりひとつの枝を選びとってほしいと思ってしまう。選ぶことと選ばないこと、この使い分けが難しい。難しいのは、「選ぶこと」を選ぶことだ。

NTTヒューマンインタフェース研究所の石井裕さんが、この秋MITに移籍した。彼は近ごろ、飲みながらよく「人生」という言葉を口にしていた。そういうとただのオヤジのようだが、彼くらい「人生」をオヤジ的でない発音で話す人もめったにいない。「ありえたかもしれない人生」を夢想から現実にスイッチする、その最後の大きなチャンスは四十歳になろうとしている今しかない、と言って石井さんは莫大な蓄積をあっさりと投げ捨てて渡米した。

おない歳のぼくとしては、人生の無数の別テイクを夢想しながら、さて描き込むか削りとるか、というところ。

(Jan.1996)


 

 

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