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6. 放電魚

『Cape-X』 Dec. 1995 掲載

安斎利洋

 

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大阪で開催されたとあるシンポジウムで、明和電機の製品デモを見た。明和電機は、兄が社長で弟が副社長、社員なしという典型的なファミリー中小企業で、ソレノイド(電磁石)の制御技術による、ユーザーフレンドリーな製品に定評がある。

その明和電機による「魚器(なき)」シリーズ製品発表会は、若い追っかけまで含めた多様な顧客の熱い期待のまなざしを受けながら開始された。ライトブルーの作業服に身を固めた彼らが、鯉の形をしたグラスハープならぬグラスカープと、放電魚という名の100Vが通電したむき出しの肋骨のような鉄琴によって、ラベルの「なき女王のためのパバーヌ」を奏ではじめると、青白い火花を浴びながら彼らの存在は中小企業から抽象企業へ転調する。

さてそのシンポジウムで、われわれ(中村+安斎)は、インターネット上のいくつかのアート系サイトに繋いで見せるという役割を担っていた。

会場のPCをインターネットに繋ぐことは、さほど難しくないこと、のように思われた。ところが、なんだかヘンなのだ。奇妙な現象がつぎつぎ起こり接続できない。

思えば昨年から何度もくりかえし、ネットワークの接続では苦労してきた。海外でのパフォーマンスには、計画の倍のシステムを準備して、ぎりぎり半分が動作した。有能な技術スタッフに恵まれた何度かのLAN連画でも、まずネットワーク接続に時間を要した。ネットは繋がらないのが常態(ノーマル)であると思うべきなのだ。しかし今回は、なぜか油断した。インターネットはつながるのが常態だと思いはじめていたのだ。

楽屋であれこれ対策を練っていると、シンポジウム会場から、東大の水越さんが、メディアの発生について話しているのが聞こえてくる。多様な可能性を秘めたメディアが、大衆の興味と資本の力学にさらされながら、単一の機能に収斂し、飼い慣らされていくという話。

常態で接続しているメディア、たとえばテレビがある日故障すると、家族だんらんの中でお父さんは何を話していいかわからなくなったりする。しかし考えてみると、あらかじめ常態でつながっているメディアなんてひとつもない。それを力づくでリンクしていって、ある日それはメディアになり、そして高電圧むき出しの危険な肋骨はカバーに覆われて、家族のだんらんに解けこみはじめる。繋がらないのが当然なのだ。このPCだって………

そうこうしているうちに、最後にモデムの電源が不安定であることに気付いた。壊れた電源からコードとプラグを切り取り、ありあわせの電源と繋ぎ変える。明和電機さんにお願いして借りた半田ごては、明和電子ではなく明和電機らしい無骨なもので、脂入り半田の焼ける匂いは、真空管式ラジオを組み立てた過去の記憶を呼びさます。

一瞬自分の手の中で、インターネットの肋骨が、青白い火花を散らしながらコネクトしていく幻想に捉えられた。

(Dec.1995)


 

 

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