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4. 歌枕の巣

『Cape-X』 Oct. 1995 掲載

安斎利洋

 

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昨年の夏、若いクリエーター20名をLANで結ぶコラボレーションを企画した折、ほんの思い付きでそれを「二の橋連画」と名付けた。

張り巡らされた東京の地下鉄網のなかにありながら、麻布二の橋はどの駅からも半端な距離をおいたもどかしい位置にある。歩くのは面倒、かといってワンメーターそこそこをタクシーで走るのもなんだし、なんていいながら結局ついつい車をたよって、パラボラアンテナを空に向けたNTTのメディアラボまでたどり着く。先の20名は、この建物の中のLAN接続されたパソコンに張り付き、時間と場所を共有して膨大な組作品を編みあげたわけだ。

二の橋という美しい響きをもった地名を、セッションの名前に掲げたのは成功だった。たまたま車がつかまらないまま歩ききって、交差点と高速道路の狭間に質素な橋が蔦に囲まれてひっそりとただずんでいるのを知ったのは、二の橋連画が終わったずっとあとのことだ。二の橋という地名は、実際の土地のイメージからやや浮遊したところで、ある機能を果たしていた。われわれは同じ空間だけでなく、「二の橋」の喚起する場のイメージを共有していた。これは、一種の歌枕だったのだと思う。

歌枕は、和歌の中で育った幻想の土地、あるいは土地の幻想だ。たとえば「よしの」という3文字の中に、現実の吉野の景観データだけでなく、吉野に託して詠まれてきた様々な歌、そして歌に詠まれた心の動き方が、分厚く層をなして重なっている。歌枕を織り込んだ歌は、そういう膨大な継承を巧みにいかして、それらと対話しながら三十一文字の凝縮した表現に広がりをもたせた。歌枕は、まさにオブジェクト指向そのものだ。

歌枕の実体は、現実の土地ではなく、イメージを培養した和歌の歴史の中にあるといわれる。だからといって、実際に存在しない地名をでっちあげたとしても、そこからは歌枕的な感動は喚起されないだろう。そこのところが面白いのだ。歌枕は、実在の地名であることが必須だ。たとえそこに行ったことがなくても、またその場所の本当の姿を知り尽くしていなくてもいい。しかし、いま身体のしめるこの空間と、その土地はつながっている必要がある。歌枕は、仮想空間と現実空間の両方に根を張り成長する。その二重化に、歌枕の秘密がある。

最近WWWにはまっている。サーフィンなんていう軽やかなもんじゃなくて、文字通り蜘蛛の巣にかかったような感じだ。リンクをたどって世界をめぐっていると、時折宝石のようなページに出会うことがある。紙屑のようなページにも出会う。そんなページをめくってしまっても腹が立たないのが、巣にかかっているなによりもの証拠だ。

URLから思い浮かぶある地名に設置されたコンピュータが、かすかに音をたててデータを繰り出しているという想像だけで、ワールドワイドな歌枕空間の旅は十分楽しいのだ。

(Oct.1995)


 

 

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