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2. 『R』の話 その2

『Cape-X』 Aug. 1995 掲載

中村理恵子

 

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私には、拾い癖がある。いつも地平線よりやや上あたりを眺めてぼんやり歩いていることが多いのだが、ふと足元に目をやると、かなりの確率で爪先に貴金属片を発見する。

R、その2は、拾ったRの話。

Oさんは、我々の手となり足となり、今春開催した連画展全体の面倒をみてくれた人である。大柄な彼女は、遠い昔、異国から受け継いだ血が流れているとかで、行動やものの考え方全般がおおらか。心身ともにガリバーのようなスケールを持った女性である。その彼女と新宿でお茶してた時のこと。
O「その素敵な指輪、中村さんのイニシャルの『R』ですね」
私「うん、これ拾ったんだよ。何年か前の正月だったなあ。坂道でさ、よく通る。逆さまになって落ちてたんだよね」
O「へぇ(一呼吸あって、彼女の顔が次第にニマニマしてくる)。またぁ、そんなシャレた履歴をこじつけてー。男の子にもらったって素直にいえばいいじゃないですか」
私(呟く)「マジで拾ったんだってば…」

あまりいい例えとも思えないが、友人のMさんが、生前よく言っていた。集団健康診断で病気を発見するのは、砂漠で砂金を一粒みつけるようなものだと。彼は、その言葉の通り、検診をうけていたにもかかわらず過労死してしまった。ともあれこの指輪の発見は、砂漠の砂金以上に希有な現象に思える。

道端で、それも正月に自分のイニシャル入りの指輪を拾う人って世界にいったい何人いるだろう?。幸運というより、あまりに色々な符合が合いすぎて、不気味なくらいだ。

もし、大きなダイヤでもはまっていたなら、一瞬「やったぁ!」と思い、しかし次の瞬間、内気で小心な私はまっすぐ交番へ向かったにちがいない。しかし、この器用に曲線を描いて指に絡みつく『R』は、全く別物だった。指輪というより、欠伸を堪えたできそこないのクリップのようだ。R形と思ってるのは、錯覚かもしれない。私は、路上に転がる不思議な一点、そこに凝固した偶然の風景をさっさと拾い上げ、迷わず指にはめて坂道を下った。

以来『R』の指輪は、私にとって物ではない。何かよくわからない曖昧で実体がないもの、割り切れない経験、未解決な現象の象徴として私の指に一時留まっ ている。

ところで、Oさんとの会話にはまだつづきがある。 O「中村さん、あたしも指輪拾っちゃったんですよお。正確に言うと、友達のアフリカの人が拾ったんですけどね。一緒にサッカー観にいった時に。彼言うんです“これ、あげます。ゴールドを拾うのは、自分の国ではよくない事だから”って」 何やら謎めいた話だ。

ところで、全世界の金の量というのは、50mプールを入れ物にしたとき、1杯半とか、いや、7杯半だったか?、なにせ限りある資源ではあるらしい。思うに、私とは違う時間を生きるR形の指輪は、いつかそのプールに還って行くのだろう。

(Aug.1995)


 

 

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