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9. 火薬庫

『Cape-X』 May. 1996 掲載

安斎利洋

 

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最近、近所で連続放火があった。スーパーの衣料品売場などから火があがり、幸い小火でくいとめられ大事には至らなかった。数日後犯人が捕らえられ、小学六年生の女の子が中学受験への行き詰まりから火をつけたという報道が流れた。

こういうありがちな動機づけは、鵜呑みにしないほうがいい。もし「火に魅了され」なんていうことになると、せっかく上手に沈殿した世間の不安を攪拌することになるだろう。だからこういう理由づけは、作り話でも座りの良いステレオタイプがありがたいわけだ。

もし憑依というようなことが信じられている世の中なら、もっと上手な事後処理ができただろう。悪い生霊や狐の仕業ということになれば、罪を犯してしまった子供は簡単にこちらの世界に戻ってくることができる。実際、その子供の心をよぎったのは、狐なのかもしれないのだ。

8年前、肺癌で死んだ父親が最後に手術を受けた日に、タールで染まった摘出臓器を外科医から見せられた。それをきっかけに、ぼくは超ヘビースモーカーから足を洗った。香りや味に敏感になったこと、部屋が汚れなくなったことなど、数多くのメリットと引き替えに、ひとつだけ残念なのは、煙草をやめてからというもの火とのつきあいが希薄になってしまったことだ。

最近のマンションは、火を日常に露出させない傾向にある。友人のTは、電磁調理器じゃ中華はできない、と嘆いている。ぼくのところも、ガスレンジ以外に火と直接交渉する場所がない。それだけ、火に棲む狐にも、不慣れになってきている。

小学生の頃、近くに火薬庫という倉庫群があった。そこは立ち入り禁止で、中には日本軍の火薬が大量に備蓄されている、という噂があった。一度だけ、勇気を証明するために数人で忍び込んだことがある。ちょうど六畳一間平屋建てほどの建物が、それをすっぽり隠すほどの無数の穴の中にひとつづつ、それが蜂の巣のようにきっちりと並んでいる。あぜから降りてひとつの建物を覗くと、そこは空だった。ほかの倉庫がどうなっていたのかはわからない。

ある日、隣接する原っぱで遊んでいると、マッチ箱が捨てられていた。中に1本だけ まだ使っていない軸が残っていた。背丈より高い枯れ草に隠れて、こっそりそれを擦ってみた。マッチはすぐに消えてしまったが、それが消えるまでの数秒間に、頭の中で火が枯れ草に燃え移り火薬庫に燃え移り大爆発する、という映像が組みたてられた。その数秒の記憶が鮮明に残ってる。狐が通過したのだ。

喫煙家はよく、見知らぬ人に火を借りたりする。火を貰うわけじゃなく、貸してくださいと言う。火は「物」じゃなくて、物の反応プロセス、つまり「事」だから、貰うというのは変なのだ。だから借りるということになる。火は、生物と同様、情報のシステムだと言う人もいる。

そうすると、情報空間に棲む狐もいるのだろうか。

(May.1996)


 

 

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