■四角な世界と壺中天

中国の古い宇宙観では、「天」は蒼穹で円く、「地」は方形をしています。
この「地」=「世界」が四角だということを模倣して、中国の城市(=都市)は世界 の相似形として方形の構造を持っています。
内部に碁盤の目状の街路で整然と構成された空間を持つその都市構造は有名です。
しかし、実際にこの街を歩いてみると、整然という感覚とは違う迷宮に迷い込んだよ うな感覚に襲われます。
どこまで入り込んでいってもまるでイレコ細工のようで、何処までも方形の相似形が 続いてゆくのです。
そして、その最も小さな四角な空間でさえ、世界の相似形として存在しているかのよ うです。
それにしても、この「天」は円いというのは感覚としてよく解るのですが、「地」は どうして四角なのでしょうか?
これに関しては、まだ納得のいく説明を聞いたことがありません。

それと、伝統的な中国の世界観には、壷=瓢箪の中に世界が収まっているという考え方があります。
無限の時空が、閉じられた系として存在しているのです。
このクラインの壷のような考え方は、人体の中に宇宙を見たり、洞窟の中に夢幻世界 が広がっていたりと、その宇宙観には独特のものがあるのですが、この思想は元をた どれば天竺の思想だと聞いたことがあります。
今では、宇宙は米国の専売特許の感がありますが、宇宙の構造を思弁的に考え抜くと いうのは、天竺に住む人々の方が先にやっていたことです。
米国人は考えるより先に飛び出していこうとしてますから、これも随分と勇気のある ことで、さて何を見つけようとしているのでしょうか?

ところで、ここ北京にいると世界の中心にいるという感覚を強く持ちます。
この感覚は、東京で長く暮らしていたときにも、決して感じることのなかったものです。
それは、街が大きいとか、道が広いとか、建物が堂々としているということではなく 、長い時間、幾多の風雪に耐えて、膨大な人々の記憶を飲み込み、世界の中心として 存在し続けてきた城市の風格であり、歴史そのものを体現しているその圧倒的な存在 感です。
世界観を、宇宙観を内に持った文化というものは、現存する文明の中ではそれほど多 くはありませんが、中国という世界は紛れもなくその内の一つでしょう。
彼らが誇るその悠久の歴史の中で、築いてきたものはあくまでも人間を中心にした社 会であり、その人間が営む行為に関する膨大な蓄積に支えられた経験は、歴史は実に 多くの知見に満ちています。
そしてここでは歴史は過去のものだけではなく、現在のものでもあるのです。
そういう意味では、中国の歴史は生きた歴史であるといえるかも知れません。

つい、ここでお世話になっている時間が長くなってくると身贔屓になってしまいます。


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