■情報化社会?

人間という生き物は、とにかく好奇心の強い生き物です。
新しいということに対しては、それが新しいということだけで心を惹かれて、目を離 せなくなってしまうようです。
情報、情報、情報・・・毎日人は何か新しいことが、自分の知らないことが起こって いるのではないかと耳をそばだてて暮らしています。
そして送り手の方も何処かで何か新しいことが起こっていないかと、血眼になってネ タを探しています。
送り手と受け手の間で、こうしてお互いの欲求が一致しているのですから、この方面 の活動は益々盛んになる一方で、その方法も日進月歩で進んでいるのは皆さん知って の通り、それの一番新しいのがinternetといえるかも知れません。
それにしても、情報を発信するということが大切なことであり、何よりも需要なのだ 、ということになったのはいつからでしょうか?
本来は、人間は、別に他人が何処で何をしたかなんて知らなくたって、毎日を安静に 平和に暮らすことはできるはずですからね。
中国の老荘の学徒は、随分昔にこうしたユートピアを桃源郷としてイメージしました が、現代人は特に用もないのに出歩いて、人の生活に干渉し、無駄な話で時間をつぶ すほうが好きなようです。
最近は殊に、膨大な量の情報が様々な形態で飛び交い、世界は、日毎に騒がしくなっ てきています。

でも、私はときどき疑問に感じることがあるのです、そんなに沢山の情報が個人にと って本当に必要なのでしょうか?
情報を知ることが、それほど価値のある、大切なことなのでしょうか?
「知る」ということで人は幸せになれるのでしょうか?
私は、人は知ることで幸せになるよりも、不幸になることの方が余程多いと感じてい ます。
「そんなこと知らなければよかった・・・」これは、よく聞く言葉ですからね。
知らなければ、今までの生活に十分満足していたのに知ってしまったが故に、現状の 自分が惨めになり、不幸と感じてしまう。
青い鳥は実は身近な処にいたのでした、というよくある話。
勿論、情報に接して幸福感に浸れることもあります。
でも、それは大抵は人の不幸の話が多いようです。昔から「他人の不幸は蜜の味」と いいますからね。
人間、なかなか他人の幸福を余裕をもって祝福できるまでには、進歩してないようです。


もどる